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ご由緒

12世紀まで遡る由緒ある神社

出世稲荷神社は、松江の領主が代々信仰した神社で、12世紀まで歴史を遡ることができます。

元は今の松江城のある亀田山、大昔は末次山と言っていましたが、その地にありました。末次の地を開拓するにあたり、農耕の守護神をお祀りしたのが始まりとされ、里人が信仰していました。

鎌倉時代に入り、松江の里(末次の里)を地頭として支配した土屋六郎をはじめ、末次城主となった末次五郎清政や松江城を築城した堀尾吉晴、さらには江戸期に入ってからの松江城主、松平家に至るまで、代々この地を治めた人々も信仰していました。

堀尾吉晴公が松江城を築城した際、当社は松江の守護神として、藩の細工所の敷地(現在の県民会館のエリア)の中に、新しくお宮を造営してお祀りしました。後を継いだ松平家の代々の殿様も同様にお祀りし、藩費にて神社の費用を賄っていました。

明治の廃藩に伴い、土地が民有地になったことなどから、明治21年に現在の場所の寺町にお宮を遷しました。

当社は、「松江三大稲荷」に挙げられ、大変御利益があるということで広く知られ、開運招福、商売繁盛、病気平癒、厄除けなどを願う人々の信仰を集め、多くの方々が参詣になっています。また、開運出世に特に御利益があるということから、いつの頃からか「出世稲荷神社」という呼び名となり、合格成就を願う人々が多くお参りしてきました。

また、以前はこの地に「八百屋畠」があったことから、「八百屋畠のお稲荷さん」という愛称も持っていました。

かつては、社殿をはじめ、諸施設の造営あるいは改修により、松江でも1、2を争う施設を有していましたが、昭和24年の松江白潟大火で罹災し、社殿、諸施設のすべてを失いました。戦後間もなくの時期で本格的な復興もままならず、都市計画による境内地の道路への収用もあり、未完成のままで長い年月を過ごしました。

平成に入ってから、本格的な社殿造営、境内整備に着手し、平成9年秋の新社殿の造営、境内の美化整備を経て、わずかでも旧に復することがかないました。これは一重に広大無辺なご神威の賜物であると思われます。

日本の伝統的精神や文化に興味を持ち、日本文化と日本人の心を全世界に紹介した、『知られざる日本の面影』『怪談(耳なし芳一、雪女など)』の著者・小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、出雲地方に不思議な魅力を感じ、「神々の国の首都」と記しましたが、当社のご祭神もその神々の列にあって、懸命に生きる人たちの切実な願いをお聞き届けになっています。ご参拝になり、大神様と縁を結んでいただき、幸せを手にされますよう由緒の概略に合わせてご案内いたします。

ご祭神

主祭神は、豊饒と商売・営業繁栄の神様「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」。武士が崇拝した剣・武運の神様「武みかづちの神(たけみかづちのかみ)」「経津主神(ふつぬしのかみ)」、文武の神様「誉田別命(ほむだわけのみこと)」、病気平癒の神様「大床主神 (おおとこぬしのかみ)」、 水運・海運の神様「水波女神 (みずはめのかみ)」も併せてお祀りし、開運招福・商売繁盛・営業繁栄・五穀豊穣・病気平癒・大漁満足・海上安全・受験合格・良縁成就などの所願成就に霊験あらたかなことで知られています。

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